作家/ジャーナリスト・惠隆之介の公式ホームページです。沖縄や尖閣問題について、保守系言論人としての活動をご報告しております。

2018年03月30日 「昭和天皇皇太子時代、ご上陸記念碑」(平成30年3月6日除幕式 沖縄県与那原町)

「昭和天皇皇太子時代、ご上陸記念碑」(平成30年3月6日除幕式 沖縄県与那原町)

2018年03月28日 与那国に眠る大舛ご兄妹へ労いのお言葉を(天皇皇后両陛下に私の心が伝わればと祈りつつ・・・)。

本日、両陛下は日本最西端与那国島に行啓されます。そこには大舛家の墓所があります。大舛松市陸軍大尉(享年27)と、妹様清子(享年18)が祀られております。

大尉は昭和12年、県立一中(現在の首里高校)より難関陸軍士官学校へ進み、昭和18年ガダルカナルで戦死されました。その壮絶な最期は天皇に達し、一中では校内に胸像が建立され「大舛に続け!」と全校生徒が沖縄戦に防衛隊として参戦しました。当時県内では芝居や大舛大尉を称える歌(浦崎賢方作詞作曲)が一世を風靡しました。

清子様は兄上に続き、沖縄師範女子部より、ひめゆり看護隊に志願、昭和20年戦死されました。

大尉のもう一人の妹様トミ様は従軍看護婦として沖縄戦に参戦され生還、戦後与那国で医師として活躍されました(昭和60年死去)。

ご兄弟は泉下から、天皇皇后両陛下の行啓を誰よりも喜んでおられものと確信いたします。

2018年03月27日 天皇皇后両陛下沖縄行幸に感謝!

本日ご来沖された両陛下は早速、国立戦没者墓苑に親拝されました。県民としてまた遺族として感謝にたえません。ただメディアの報道に幾つかの誇張がありますので後世のため正しておきたいと思います。
 
(誤)沖縄戦戦没者20万人、(正)県民12万、本土出身将兵6万、合計18万人。
 
(誤)国内唯一の地上戦が行われた、(正)北方領土でも熾烈な戦闘があった。
 
さらに唖然としたのは、地元メディアが沖縄戦に言及し、昭和天皇の戦争責任と「一度もご来沖されなかった」と喧伝していることです。戦前、あの共産党活動家瀬長亀次郎氏でさえ大政翼賛会の幹部でした。琉球新報も鬼畜米英を標ぼうし戦意高揚に励んでいたのです。
 
何度も言いますが、大正10年3月5日、昭和天皇皇太子時代軍艦で欧州ご外遊に向かわれた際、艦長が沖縄出身とあって特例で沖縄にお立ち寄りになられました。当時の県民は感泣し日本国民の自覚を新たにしたのです。地元メディアがこの史実をアピールすれば県民の意識は大いに高揚するものと思われますが相変わらず根暗のネッちゃんです

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