作家/ジャーナリスト・惠隆之介の公式ホームページです。沖縄や尖閣問題について、保守系言論人としての活動をご報告しております。

2016年05月3日 憲法9条擁護者よ、手前の肉親が拉致されても憲法を守れと言えるか?

昭和56年、海自士官時代、日本海哨戒中、領海上で北朝鮮の不審船に遭遇しました。この野郎、わが物顔で眼前を通過するものだから艦長に体当たりを具申しましたら、「問題起こすな!」と却下されました。
憲法9条で威嚇射撃を禁じられているのでどうしょうもありませんでした。海自が軍なら停船命令を発し、臨検拿捕もできますし、従がわないか、我が方に反撃すれば、撃沈OKです。これが世界の常識です。
あの船に日本人拉致被害者が万一乗せられていたかもしれないと思うと今でも慙愧の念にかられます。
後年、横田めぐみさんが拉致された帰宅道路を見聞した際、申し訳ない気分で胸が張り裂けそうになりました。

2016年04月28日 主権回復の日にあたって沖縄県民としての使命感を新たにしてしております。

昨日県内でシンポジューム「台湾228事件in沖縄」と題して台湾で国民党軍に虐殺された県出身遺族の方が講演をされました。 
蒋介石は戦後一貫して琉球の領土権を主張し石垣島に中國軍機を強行着陸させております(米軍によった排除)。
もし当時、米軍の存在が沖縄列島に無ければ今頃我々沖縄県民は台湾人のように北京語を話し台湾領になっていたことでありましょう。

ロンドン・イブニングニュース東京特派員のハンス氏はその手記(1961年)に、1950年代の沖縄について「私が会った限りの沖縄人は日本に帰りたくないと話しておりました。というのも
街を歩いていると日本より沖縄の経済の方が豊かに見えました」と述べております。
確かに戦後僅か10年で人口は戦前ピークより21万人増加し
て80万人となっておりました(これがおデブの沖縄県の史実です)。
一方、韓国は当時、沖縄米軍基地によって朝鮮戦争が有利に展開したことを痛感しており、「日本人は共産主義の恐ろしさを知らない」と発言しながら、沖縄が日本に返還されて基地機能が低下することを警戒しております。

沖縄の地政学的位置は我が国のみならず東アジア全体の平和と繁栄に必要不可欠な位置であると認識し使命感を新たにしております。

2016年04月21日 沖縄県民の皆様!今こそ熊本県民へご恩返しを!

止まらない余震、不幸にも今度は豪雨が被災地を襲おうとしております。心痛の極みです。
 
1960~1970年代、沖教組(沖縄教職員会)が極左運動に奔り学校現場が混乱していたころ、熊本のカトリック系の学校には多くの県出身生徒が遊学しました。その際、熊本県民は我が子のようにお世話下さいました。
同県は沖縄戦のころも多くの沖縄疎開児童を受け入れました。
沖縄戦直前最後の疎開は帝国海軍の駆逐艦、寄港したのは熊本三角港、「婦人会が総出で歓迎の炊き出しをしてくれた」と、当時小学女児だった老婆は何度も語っておりました。

少しでも多くの支援カンパをお願いします。そして一日も早い復興を県民全体で支援しょうではありませんか!

ページのトップへ戻る